IKIGAI/生き甲斐(4)・完

“IKIGAI/生き甲斐”は仕事には見出さない

先日、我が家で友達3人と夕食をしたので、このテーマを持ち出しました。
2人は女友達で両者とも大手外資企業の工場でマネージャーをしています。
友人Aも途中から参加です。

見事「生き甲斐のコンセプトは好きだし尊敬するけれど、メキシコ人は仕事に”生き甲斐”と言う考え方はないね」と即答でした。
大事なのは「お金」だそうです。

私が生き甲斐に基づいて転職をして来た話をしても、「ふーん」といった反応。
そりゃ「割に合わんな」と思えば、午前「退職したいのですが」と言って、午後退社もするよねぇ。
その「割に合わんな」も聞いてると、結構「それ、あなたもどうなの?」と突っ込みたくなる事は多い。

たまに彼らが「Nomadistaみたいに旅したいわぁ」と言うけれど… これも忍耐や努力の期間を経てのことなのよ。
そこが、何度言っても伝わらない… 都合の良いことしか聞かんのか?

結局は、今が良ければいい

結局は、彼らは仕事で言えばここに行きつくようです。
ここで言う「良ければ」は主に収入と、それほど嫌いではない仕事。

いつもの如く、どちらが良い・悪いと言うつもりは無くて。
「分かり合える価値観ではないな」と言うのが私の結論。

ちなみに友人Aの副業プランが、先々月言っていた「レンタル家具屋を始める」の副業から今度は「企業付き運転手」に変わっていました。
「それさ、好きなこと?」と聞くと「運転、嫌いじゃないし」と。

これが私の感覚だと、まず不定期で嫌々続けてる主力収入の油田の仕事を、定期的で主力収入になり自分を活かせる仕事に変える。
それで必要だったり収入が足りないと思うなら、副業に何か始める。
でも、好きな事ややりたい事が安定した主力収入に繋がれば、大して興味の無いことを副業にまでする必要はないわけで。

女友達2人が帰ってから友人Aと話していて、またこの夜も「もっと外に出て楽しみなさいよ」と言われたのだけど… いや、今週の私ほとんど外出でした。
税務や仕事のミーティングを除けば、友達とブランチしたり、一人でフラッと美術館行ったり。

どうも彼にとって”夜遊び(BarやClub)”でなければ”楽しみ”じゃないみたい。
これもたまに行くけど、もう20代の頃みたいに毎週木〜土曜の夜まで踊るってエネルギーは無い(笑)

これを言ったら、すべての異文化考察が討議無く終わるけれど…
価値観の違い

生き甲斐という概念、それをどこに見るか、価値観の違いなのかなと思います。

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