今を生きる(1)

今、欲しいもの

フリーランスになって某サイトに登録したり、情報収集に勤しんだりと若干外界を遮断していた頃、こちらの友達に
「そんなにお金を気にして、もっと外出して人生楽しむべきよ」
と言われました。

それを機に、人生観というか、まぁ生き甲斐について考えてみた。
最近英語でもそのままで通じる話題の言葉。

メキシコ人に感心するのは”その日を生きる感”。
お金持ちは違うと思いますが、中級以下の生活クラスくらいだと貯金を本当にしない、というか出来ない。

– 給料の支払日は基本的に、工場員は毎週末、事務員は隔週末
→ そうでもしないと次の給料日前に使い切る

Fondo de Ahorro(フォンド デ アオーロ)(財形貯蓄)がある
→ 年末に勤務先からまとめて払い戻される
→ いざという時にはここから前借りも可能

これが、勤務先に構築されているのだから、職種によっては”経済的に出来ない”場合もあるけれど、基本的に貯金があまりない(出来ない)というのは私の偏見ではなく、国も認める見解だと思います。

それでも、彼らに悲壮感は全くありません。

以前、人事部長に「もし大病になったら?」と聞いたら「家族や親戚に借りる」と即答。
日本と同様に、親世代の雇用年金が良く、この世代が結構お金を貯めて20-30代の独身を養っている印象もあります。

その彼が「姪にタブレットを購入したいから」とコストコへの物色について行った時のこと。
メキシコ初コストコしたかったし。

そもそも、この治安レベルの国で15歳の中坊にタブレットもいかがなものかと思うも、そこは他人の家族の話なので流しておくとして、彼の給料からすると結構な額でした。

彼を思い出すといつも蘇る出来事があります。
最初の給料日に私が銀行の給与送金設定を誤って1日後ろ倒しにしてしまった時。人事部長の彼に告げると「カードが払えない」の血相を変えました。
「幾ら払わないといけないの?」と聞くと「MXN$500(当時約4,000円)」… つまり、それさえも銀行残金に無かったのです(当時40歳)。

「え、それで買い物してるの?」と聞くと「分割で買えるから」と言う。
なるほど… 必殺分割払いか。
確かに、渡墨した頃、家電にある価格ポップを見て随分安いなと思ったら、「分割払い、利息無し」が一番目立つ構図だったためでした。

また、先日私の銀行から「今なら弊行カード所持者は、審査無しで5枚新カード追加可能」という宣伝メールが来ました。
今週から学生の新学期が始ま流事もあり「書籍などは利息無し」や学用品や学校用運動用具のプロモーションがあちこちに出ています。

“カードがある=お金がある”の感覚。

今を生きる

経済的には綱渡りな生き方… でも、欲しいものをその時で手に入れているので、明日死んでも悔いはない精神的には健全な生き方だなと思いました。

片や日本では、老後資金の貯金方法が色々なところで語られています。
帰国して本屋に入り、その手の書籍が山積みになっていると、それを痛感します。
私もこれは心配していることの一つ。

私がリタイアする頃には、暮らしていくのに十分な年金額を貰えないのは明らかです。
メキシコでも私は僅かに年金が貰えますが… 頼れる程の額とは思えません。
こちらでは同世代がリタイア時に幾らもらえるかは不明ですが、日本と同様に額は減り続けているようです。

ただ彼らは早いうちに家を購入し、家は基本的に資産価値が上がるものなので、投資として転がします。
工場員といった低収入階級でもINFONAVIT(インフォナビ)という政府の住宅補助金システムを利用して、早いうちに購入します。

日本は、普通の家族なら家は投資対象というより生きている間の定住地。
高いローンを払い終え、子供に残す程度…というのが私のイメージ。残されても結局は修繕費が結構かかる。
その子供が家を売るとして、家自体の価値が上がっている事はあまり無いというか。
立地が価値を得て、利益を生む事はあるにしても。

メキシコ人の生き方は、老いた後が長引かなければ、私は凄く良い生き方だと思っていて。
やりたい事して、借金返済せず死んでいく(笑)
まさに今を生きる。

日本人の生き方は、老いた後が長引かなければ、活力ある時期を貯金と老後の心配で過ごし、やりたい事も我慢したまま死んでいく。
まさに(起きるかどうか分からない)未来を気にして生きてく。

ちょっと極論ですけど。

つづく

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